Top > お通の歴史
昭和36年 | 1961 | 創業者・古市玲子により「BARお通」開業 | |
昭和55年 | 1980 | 現在の場所に移転し、7坪に拡張 「ぞうすいの店 お通」に改名 |
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平成5年 | 1993 | 8月 | 福原優一(現社長)が古市玲子の元で修行を始める(福原21歳) |
平成9年 | 1997 | 4月16日 | 創業者・古市玲子が死去(享年70歳) |
平成9年 | 1997 | 5月1日 | 福原優一(現社長)が「ぞうすいの店 お通」の店主となる |
平成11年 | 1999 | 7月1日 | 店舗を拡大する(7坪から15坪へ) |
平成13年 | 2001 | 4月1日 | 法人化する(有限会社ムサシ設立/代表取締役として福原優一が就任) |
平成13年 | 2001 | 11月16日 | 鹿児島店オープン |
平成14年 | 2002 | 3月1日 | 「お通」商標登録 商標登録第4547100号 |
平成15年 | 2003 | 9月8日 | 福岡中洲店オープン |
平成18年 | 2006 | 2月末日 | 鹿児島店福岡店共に暖簾分け |
平成18年 | 2006 | 3月31日 | 店舗を拡大する(15坪から25坪へ) 新メニュー「塩鍋」を開始する |
平成19年 | 2007 | 7月 | 宮崎県立商業高等学校の野球部の「夏の栄養会」にて特製の「百人鍋」振る舞うボランティア活動を開始する 翌年、同校は39年ぶりに4回目の甲子園出場を果たす。 |
平成21年 | 2009 | 5月 | 社会福祉法人「カリタスの園」にて約70名に鍋を振る舞うボランティア活動を開始する |
平成21年 | 2009 | 2月 | フランチャイズ事業を開始する |
時は流れ、開業時は周囲に何もなかった店の周囲(通称:ニシタチ)には多くのビルが建ち並び、その華やかさは県外にまで知られる程の歓楽街へと発展しました。
「ぞうすいの店 お通」もニシタチを代表する老舗店の一つとして認知され、人気も衰えることなく営業を続けてきました。現社長・福原優一も、お通のぞうすいのファンであり、常連客の一人でしたが、縁あって店で働くことになりました。 当時、玲子は67歳。福原から見れば祖母と言ってもおかしくない年齢でしたが、その人柄、未だに衰えないエネルギッシュな生き方に、福原も次第に魅了され、お通のこれからを担うため、懸命に働くようになりました。そんな福原に、玲子も全幅の信頼を置き、あらゆる事を叩き込みました。 福原がまだ20代半ばの平成9年、全てを伝え終えたかのように、玲子は他界しました。 玲子が生前、何度も何度も口にしていた言葉… 「鹿児島一番の繁華街『天文館』に出店し、故郷に錦を飾りたい」 「優ちゃんは、この店(宮崎店)だけで終わっちゃいかんよ」 この言葉を胸に、二代目福原優一、そしてお通が、新たなスタートを切った時でもありました。 |
福原がお通を引き継ぎ、既にこの時に構想として練り始めたのが、多店舗展開、ゆくゆくはFC(フランチャイズ)展開へと発展させることでした。そのための第一歩が、商品開発によるメニューの拡充であると考えた福原は、店が終わると、様々な食材を試し、何度も何度も失敗を繰り返しながら新商品の開発に挑みました。 当時ぞうすいは1種類のみであり、宮崎では老舗の味として定着していたため、チーズや納豆などの食材を使ったメニューは、古くからのお客様のお怒りを買うことも少なくありませんでした。先代を亡くしたばかりのまだ若い福原は、老舗の暖簾を守らなければならない重圧と、客離れが進む不安に苦しみます。 しかし、美味しいぞうすいをもっと食べてほしいという福原の一直線な気持ちは、少しずつお客様のご理解を得ることができました。福原のぞうすいにかける思いは、地元の新鮮な食材にこだわり、ダシの製法に妥協せず、さらに多くのファンを獲得することに至り、わずか2年で店舗を倍の広さに拡張、4年後には鹿児島は天文館へと進出するまでになりました。 先代の古市玲子の言葉、「鹿児島一番の繁華街『天文館』に出店し、故郷に錦を飾りたい」を胸に抱き、福原は三年間鹿児島に移り住み、店を軌道に乗せました。鹿児島店は、あえて古材を調達して内装、外装を作り、昔からこの地にあったかのような店に仕上げました。それは、玲子がまだ亡くなる前から、この地にお通が存在していたようにしたい、玲子が作った店のようにしたい、そんな福原の想いを反映させたものでした。 その後、宮崎本店はさらに大きく拡張、平成15年には、日本の三大歓楽街の一つである福岡の中洲に出店することができました(現在、鹿児島店と中洲店は、福原と共に汗を流した同志へ暖簾分けし、互いに協力関係を維持しながら運営しています)。 |
現在は、新たに追加したメニューも高い評価を得て、さらに多くのファンを惹き付けています。また、高校球児への「百人鍋」や社会福祉法人へのボランティア等にも積極的に取り組み、地域への貢献に力を入れています。 ぞうすいのダシ、素材に長年こだわってきた福原は、消化に良く、栄養価の高いぞうすいの素晴らしさ、美味しさを誰よりも知っています。具材によっては夕食のメインとなる立派な料理にもなります。カレーや丼物のように、ぞうすいをもっとメジャーにしたい。鍋の後や病気の時だけでなく、もっと日常的に食べてほしい。ぞうすいは簡単に作れます。簡単だからこそ様々な工夫が出来、無限に美味しくできる事を、多くの商品開発を通して福原は痛感しているのです。 また、米の美味しさを最大限に引き出せるぞうすいを食べて頂ければ、米の消費が減少する日本において食料自給率向上にも貢献できるのではないかと、福原は考えるようになりました。ご家庭で色んなぞうすいを楽しんでほしい、様々なアレンジができるぞうすいを試してほしい。福原の夢は、店としてのお通を発展させるだけではなく、ぞうすいをもっと美味しくして、家庭でもっと食べてもらえる人気料理にしていくことなのです。 もっともっと、ぞうすいの良さを知ってもらいたい。 食べてもらいたい。身近に感じて欲しい。 創業者の夢と、二代目福原の熱意は、その一杯のぞうすいに込められています。 |